ボーッとする時間を過ごして2

適応障害からの復活をしたいとカウンセリングの受けています。 今までの自分自身の物事の取り組み方で調子を崩していったのだから、他の方の知見を得ていこうと思ったのです。

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ボッーとする時間を過ごして

課題はぼーっとする時間を作る

公私ともにタスクを設定して、消化していることを習慣としているのですが、
自身がどんな状態でも物事をつき進めていけることを理想と思い取り組んでいたように思います。

そんなタスク中毒だったこともあり、

  • 自分が無理してやろうとしていたことをやめる
  • 日常タスク化していることを手放してみる

というものを課題として与えられていたのです。いわゆるボーッとする時間を過ごすのが課題となっていました。

物事を進めていくにはタスク化は有効だけれどもやりすぎは厳禁という気づき

この内容を記事として書くのは2回目で、最初の記事では次の2つのことを気が付くようになっていました。

  1. なけなしの自尊心を守ろうと様々なタスクを課した生活を過ごしていたこと
  2. 「周囲の期待を第一に!」という強い価値観があったこと

それで、さらに怠惰な生活を1週間続けてみて気がついたのは「タスク化は生産性をあげるのに有用だけど、やりすぎ厳禁」というものでした。

過度のタスク化で自身を追い込みすぎてしまう

無理してやろうとしていたことや、タスク化から徹底的に避ける生活をしてみて、タスクを設定、消化することは物事を進めるためにはとても有用なテクニックだったと実感しています

徹底的にやりたくないことから避けたダメ人間生活では、将来のためにやらなければいけないことも消化出来ず、次のことに進むことが出来ないと実感しましたので…

ただ、タスク化を過剰に使い続けていると、感情も体調も度外視で生産性を爆上げ出来るため、自分自身に対し過度に厳しく負担も大きく、結果として心が擦り切れたような状態になってしまいます。

  • 「メンタルを病んでしまっているような状態ならタスクから徹底的に避けろ。焦るなとは言わない。ただ何もしなくていい時なんだ。良いからとにかく休むことが必要。」
  • 「タスク化至上原理主義は良くない。プライベートでは設定せずにあえてタスク化を使わないぐらいの逃げ道を用意しておく必要がある。」

と、気がつきました。

たぶん徹底的に使い倒す自分にはやりすぎ厳禁なレベル感まで使っていたのではないかと。

今の自分を好きになれそうか?と考え中

適応障害となる前は強靭なメンタルとタフな身体でバリバリ働くような自分を目指していました。職人気質に企業会計の実務経験ある専門家としてやっていくんだと。

ただその理想の自分にはプライベートの入り込む余裕はほとんどなく、20代から今に至るまで異常なほどの仕事人間で過ごしていました。

高い理想を掲げて、ギラギラとした頃の自分は眩しいけれど、前に進むほど孤立してしんどいと感じていたのを考えないようにしていました。

今の自分はメンタルも病んで、希死念慮の怖さも体験し、以前のように強い自分を持ち続けることはもう出来ない。良い意味で力を抜いてゆるふわ系でいることを受け入れてやっていくのが丁度いいのでしょう。

  • 角が取れていい感じの自分になれたら良いな
  • 新しい自分を受け入れることは出来るのかな?

なんてことを考えています。受け入れるまでもうちょい時間必要かもですが…

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■あとがき
最近しあわせと思えるのが温かい晩ごはんを家で食べれること。

ちょうど一年前は20時過ぎぐらいに一瞬離席、会社のオフィスグリコで小腹満たして、晩ごはんは24時間営業のスーバーでお弁当買って23時過ぎとかだったから…

人間らしい生活って幸せなのよ。