聴覚過敏が回復 ライブハウスへ行く

適応障害となってからというもの聴覚過敏の影響がひどく、趣味のひとつであった音楽を聴くことに躊躇してしまう生活が続いていたました。

最近になり、やっとその症状も回復してきたことを自覚できたので「支障がないのなら…やっぱりどうしても行きたい。」と、声援OKのライブに久しぶりに参加してきました。

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聴覚過敏の回復を確かめにライブハウスへ行く

今回行くことにしたライブはヒトリエというバンドのワンマンライブです。

初アルバム発売から10周年を記念したツアーで恵比寿のLIQUIDROOMで開催されて、コロナ前の頃と同じ声出しOKとなったイベントです。

自身が適応障害という病期になってから、当初は好きだった音楽に関する関心を無くし、
その関心が戻って喜んでいたら、聴覚過敏の症状もあって、特にヒトリエのようなBPMの早い楽曲を耳にすると胸痛の症状が出てしまうことに悩まされていました。

ただ最近は激しい楽曲を耳にしても聴覚過敏の症状はなく、「当日の体調が良ければライブに行こう。」と、事前にチケットを確保していました。

自分の好きな音楽をまた生で聴けたことが嬉しかった

ただですね、適応障害のやっかいなことは調子の波が激しいことなんです。

自分の場合は「調子良い。」と思った一週間後には「重力何倍かになっていない?精神的にも自己否定の無限ループでつら〜」という波に揉まれる期間が長く、思うようにならない身体とメンタルに振り回されまくりだったのです。

心待ちにしていたライブ開催日は調子が良さげで「これなら行ける!」と意気揚々とライブ会場に向かって行きました。

開場前の物販では会場に好きなヒトリエの楽曲がBGMが流れてライブハウス独特の雰囲気もとても懐かしく感じつつ、ライブTシャツとタオルを購入。

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心待ちにしていたライブはインディーズの頃によくやっていた懐かしい楽曲を中心のセットリストで構成されていて、大音量の演奏、多くの観客いる状況での歓声、コールアンドレスポンスもあり、ライブならではの醍醐味を楽しむことが出来ました。

10周年のイベントということもありMCのなかでVo.Gtのシノダさんが「血の滲むような10年」と語っていました。バンド活動としてはリーダーの死去で解散の危機を乗り越え、コロナ禍で思うように活動できない期間を味わっていたことを考えると重い言葉です。

そのMCを聞いていたいち観客である自身も10年という歳月は大きな環境の変化があり、特に最近では適応障害という病気にかかり思うようにならない悔しさを感じていたので思わず涙腺が緩んでいました。

「適応障害になって大変だった。」と笑って言える未来は近いのではないか?

ライブの終演後、交友のあったライブ仲間と再会し、近況がてら雑談。

ハンドルネームで呼び合うようなゆるい付き合いではありますが、なんだかんだで10年来の顔見知りです。10年も経つと色々変わるよね。と世間話をしつつ、久しぶりにあったら伝えようと思っていたことをふいに口にしていました。

  • 「仕事で無理をしていたらメンタルを壊しちゃった、君は気をつけてね。」
  • 「最近まで聴覚過敏だったから、またこういう場に来られるようになっただけでも感動しちゃったよ。」

と、カミングアウト。

10年前に比べると今の自分はみっともないかもしれない。けれど病気にかかったことで伝えられることもありまして、せめて直接会った昔なじみの方たちだけでも健康に過ごしてくれたら良いな。と、思っています。

こういった場所に来ることも出来るようになって、徐々に適応障害で悩まされていた症状の数々も深い谷を越えてこれているのかもしれません。(目に見えるものではないので正直自分でも良くわからないのですが…)

精神安定剤に頼ることが前提の生活で、未だに仕事にも就いていませんから、回復というにはもう少し時間はかかるかも知れませんが、最近は合法なら薬でもなんでも頼ってしぶとく精一杯生き抜いてやろうと思えています。

このブログを作ったのは人生設計として仕事の優先順位を高く持っていたにも関わらず、体調を崩したことを認めて仕事を辞めると決めたばかりのころでした。身体は重く、頭も回らないなかで「いつか適応障害になって大変だった。」と笑って言える未来のためにと、日々感じたままに思ったことを書き綴っていたものです。

好きな音楽にまた触れられるようになって、前とは同じとは言わないけれど、好転し始めていて、もうそろそろ次のステップに進む段階もそう遠くはないのではないかなと。
…まぁ転職活動大変だしなぁ…もうちょい先送りしときたいなぁ…とも感じている自堕落な自分もいるのですがね。